2014年8月25日月曜日

真の霊的権威について考察します

真の霊的権威

 そして真の指導は、信徒たちが牧者の模範を見ることができるという特権から来ます。「信徒たちが、私の指導になかなか従ってくれない。」というストレスを感じておられる方がいらっしゃるかもしれません。

けれどもそれは、信徒が模範にすべき人を見ることができず、真の霊的権威に枯渇しているからなのです。

しばしば牧師やクリスチャンは「私を見ないで、イエス様を見てください。」と言います。それは究極的には正しいのですが、実際上は間違っています。

 聖書には「倣いなさい」という言葉がたくさん出てきます。「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならなってください。(1コリント11:1

あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。(1テサロニケ1:6

人は、聞くだけでは分からないのです。けれども見れば、すぐに分かります。そしてそれを真似することができるので、すぐに付いていくことができます。



 次のペテロの言葉を読むとき、「私を見ないで、イエス様を見なさい。」と言っている自分が恥ずかしくなります。

「ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて。『私たちを見なさい。』と言った。・・・すると、ペテロは、『金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。(使徒3:4,6

私のうちに、これまでしっかりしたイエス・キリストの権威を持っているのかと考えさせられます。

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